エンタメは愛だ!

感想書く日記的なブログのつもりです

少女革命と愛

先日少女革命ウテナを見返した。1回目見たのが大学の時だったはずだから、5年以上は立ってるかな。見返した理由は詳細には書かないけど、自分のスキを確かめる為、みたいな理由から。

 

見た感想と思ったことを急ピッチで書き留めときます。(色々な理由から書き上げないといけなくなったので)


久しぶりに見てやっと、生徒会編、黒薔薇編と明確に描いた情報と伏線があり、それが最後のウテナと暁夫との対決まで繋がっていたことに気づけたかなと思ってます。

合間のギャグとか演出にばかり意識を取られてたけど、ウテナ言う王子、暁夫という寓話から外れた王子の成れの果て、アンシーという器だけの姫から脱却、御伽噺の王子と姫の構造を解体していく話だったのではないかと思う訳です。

生徒会メンバーが中心となり、友情、兄妹愛(家族愛?)、同性愛、異性愛、いろいろな側面の人間関係を見せてくれる。まるで御伽噺の王子に現実の不恰好な愛を見せつけるように。現実は御伽噺の中の夢物語の恋愛でハッピーエンドとはいかないのだよと。ウテナは純粋ゆえにその試練に勝っていくわけだけど、憧れていた王子本人が歪みすぎており、あっさりその毒牙にかかってしまうわけで。完全に倒錯した男性性の権化のようになってしまった暁夫は現代の権力者的側面が強いですよね。支配欲というか。ただこの「ウテナ」という作品が、王子の救済ではなく、新しい物語の構築だったとすれば、ディオスを復活ではなく、アンシーの旅立ちがタイトル回収、少女革命だったのかなと思うわけです。

狙ってやったのか偶然だったのか、2020年代の今現実にリンクするかのような結末ですが、個人的にはLGBTQ+という枠組みだけじゃない話なんだろうと思ってます。そう言う意味では狙ってないのだろうな。もちろんそういった要素は意図してただろうけど、樹里というキャラクターがいる以上、ウテナとアンシーの関係は現代的な同性愛とは別の、それこそ寓話的な関係、抽象的で普遍的な人間関係と絆、つまるところの愛の形だと、個人的願望に帰結するのです。特にウテナは最初から最後までトランスセクシャルでは絶対なく、ただ性の確立を明言してなかった女の子だったのかなと。話の流れで、女性性を確立し、自立していくのだけれど、舞台からの退場後は描かれなかったため、ちょっと急な自立に見えますが、それはアンシーの旅立ちで各自補完する形でしょうか。


ウテナがアンシーに向けた愛が、アガペー的な愛と仮定して結論づけるなら、昨今自分が考えてる、「アガペー的愛で人を救う事で、自らも救われ人と成る。その仮定にフィクションにおける感動があるのでは」という自分の考えのお手本のような作品だったわけです。この後幾原作品は愛の対象がウテナほど多様ではなく、テーマを絞った作品になってるように感じるが、愛をテーマにしてる事は変わりなく、僕の思う愛の形に、ブログタイトルに因んだ作品達なのです。幾原作品が好きな理由なんだろうなと思ってます。


ダラダラ書きましたが、ようは人の変化に愛があり、それこそエンタメに求める形だったりするのかなと思いながら、日々作品に触れているこの頃です。


初めてブログ書くと結びの言葉が見つからないのですが…(笑

とりあえずウテナの率直な感想はこの辺にしておきます。


次はピングドラムか、はたまた全く関係ないことか分かりませんが、細々と続けていきたいなと思います。