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感想書く日記的なブログのつもりです

ミスサイゴン感想〜精密な対比と社会情勢、そして古典へ〜

ミスサイゴン、コロナ禍で公演がままならない状態でしたがなんとか2回観劇出来ました。(お陰で育三郎トート当たりませんでしたが。これも巡り合わせ)

感想まとめます。古い作品ですが一応ネタバレ有りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミスサイゴン。タイトル通り現在のホーチミンが舞台、とも一概に言えないなんともグローバルな作品。ただ原作の無い作品で、第二次大戦後のオリジナルとして大ヒットしてる貴重な作品。レミゼエリザベートに比べて時代背景が現代史。

ベトナム戦争末期、渡米を夢見るエンジニアが身寄りをなくしたキムを自分の経営する娼館にスカウトするところから話は始まります。戦時下特有の軍人と娼婦の狂乱、キムと恋に落ちるアメリカ軍人クリス。渡米の為のビザを求めるエンジニア。全てを米軍撤退という事実が引き裂きます。ベトナム共産国家となりサイゴンホーチミンと名を改め、歴史が変わっていきます。段々今の我々も知る情勢に。そんな中でも、戦争を生き抜いたエンジニアは渡米を諦めず強かに行動します。キムもクリスとの子供を守るため国を裏切ってでも生き抜こうとします。所謂母は強しってやつ。そんな2人は己の目的の為手を取りホーチミンを出てバンコクへ。一幕終了。あれサイゴン出ちゃったと思ったら、二幕はアメリカとバンコクが舞台。まぁ登場人物的に社会主義国で勝手は出来ませんから仕方ない。

戦争孤児を支援するアメリカがもたらしたキムとその子供の報はアメリカに戻って妻を得たクリスにとって吉報か悲報か。戦争の因縁に決着をつける為妻とバンコクを訪れる事にしたクリス。そんなクリスと会いアメリカで幸せに暮らす事だけを夢見たキムはバンコクで再会…とならないのが何とも言えない話ですね。結局本人たちが会う前にキムはクリスの妻に会ってしまい、子供の邪魔にならないよう自ら命を絶つわけで。その死に際にしか再開できない所で話は枠を下ろします。

 

話だけで言えば幸せな人生を夢見たサイゴン在住の人間達が、アメリカ(本当は社会主義対資本主義なのでアメリカだけじゃ無いんでしょうが)にたどり着く前に夢破れる話。その中で強く生きる人間讃歌と非情な社会格差が浮き彫りになる傑作だと思います。夢を支えに幸せな暮らしを作ろうとするキムと夢を手に入れる為に必死に生きるエンジニアは、似ているようですが、夢を支えにしてるだけでゴールでは無いキムと夢自体がゴールになりつつあるエンジニアは夢の性質が真逆に感じました。戦争終了後のアメリカのクリスとホーチミンのキムは生活が真逆であるのもいい対比ですね。男と女、支配する側とされる側、細かい所まで対比が綺麗な舞台だったなと思います。中間層がいない話ですね。ただ今のご時世だからなのか、決してアメリカが正義とならないのも上手いなと。きっと当時からあったんだろうと感じられるアメリカ批判が滲み出てるようでした。特にエンジニアの見せ場である、アメリカンドリーム。制作発表などで聞くと楽しそうなナンバーですが、劇中では虚しさが広がるナンバーで、否が応でもアメリカンドリームの限界を感じます。奇しくも現在、アメリカが世界の警察として覇権を取らなくなった情勢に重なります。

 

ただそろそろこの作品も古典になりそうだなという感想です。というよりミスサイゴンが描いた問題が引き起こした新たな問題に直面しているのが現代かなと。この冷戦化で提示された資本主義的成功も豊かな結婚も、本当に幸せなのか。ブイドイを生み出した戦争ではなく、ブイドイとして生まれてしまった子供、戦争のせいで貧困となった子供、親達の失敗の時代に生まれた子供の幸せとは?というのが現代の問題かなと。生活していく上での問題は歴史と切り離せないはずなので、古典が不要とは思いませんし、古典から学ぶことは非常に多いですから、ミスサイゴンが傑作なのは変わりませんが、この次の世代の傑作が出来るとさらに嬉しいな。というのが今の僕の感想です。

 

まだまだミュージカル鑑賞熱は尽きなさそうです。楽しみが増えて嬉しい。