エンタメは愛だ!

感想書く日記的なブログのつもりです

劇場版輪るピングドラム前後編 感想 〜くるくるまわる「愛してる」〜

前編後編一夜で一気見してきました。

幾原監督好きとしてこの上ない至福な一夜だったなぁ。朝4時フワフワしながらやくしまるえつこさんの主題歌聴きながら帰路に着きました。

なんかもう野暮な感想は要らないんじゃと思いつつも、せっかくなんでいつも通りの取り留めのない感想は書き記しておこうと思います。

 

以下ネタバレありで感想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近山田玲司ヤングサンデーなるYouTubeチャンネルを見てまして。TV版のピンドラを絶賛されており、その考察解説を拝見させて頂きました。監督と同世代だからかの中々なシンクロを見せており非常に濃ゆい考察があり、勉強させていただきました。(クラファンも参加されてましたね)

そのチャンネルで見捨てられた子供達に関して解説されておりましたので、子供ブロイラーで透明になる等の件はヤンサンにお任せして、僕はやはり「愛してる」にフォーカスしつつ感想をまとめようかなと思っております。

 

まず、前編を2回、後編を1回見てきました。結論としてはTV版の続編の側面も持ちつつ、TV版の円環を補足する新規カットと言った側面も持ち合わせる、という中々にトリッキーな作りだと言っていいでしょう。正直普通の映画とは言い難いと思いますが、元々テレビシリーズだったものを、壊さず、なんなら更に一段上のステージに上げたような作品となっていると言えるかもしれません。ただ、話数という各駅ではなく、キャラ毎のチャプターの快速列車になった事で、表現したかったテーマがよりダイレクトに伝わるようになっており、テレビを観ていなくても劇場版だけで必要十分な作りでしたね。これは表現の巧みさより、元々TV版が持っていたテーマとかメッセージ性の重みが非常に強いんではないでしょうか。2011年から少し2022年にチューニングを合わせるだけでここまで洗練できたんじゃないかなという感じです。

 

これ内容を細かく書けそうにないなぁ。今回は全体通して感じた事だけ書きます。

 

まずは前後編通して感じた率直な事。ノルニル(運命)から始まり、生存戦略をし(主に前編)、僕の存在証明で蠍の火に焼かれ、運命を乗り換えたあと、少年よ我に帰れと背中を押されて前に進み出す(後編、締めまで)、というそもそも提示されてはいたけど並べ直すだけで、より鮮明にピンドラの話になるんですね。(上手いこと言った様で分かりにくくなってるな…)愛されず運命に(親に)呪われた子供達が愛し愛されている事に気づく、伝える事で呪われた運命から逃れられた。そして彼らは歩き出す。伝えたい事は何も変ってない。きっと愛されず、何者にもなれないと迷ってる若者、透明になった子供達も多いはず。(若者の貧困は親の因果とかニュース見かけますし)大人から若者へのメッセージとして大変秀逸です。もう30越えたおっさんだから、僕なんかよりもっと若い人にこれが届けばいいなと思います。最後が我に帰れと言われてるのが今回の劇場版としてのポイントかと思います(結構生存戦略という強い言葉になりそうな程簡単じゃない事ですけど)。これはさらざんまいやユリ熊辺りでの話にもリンクしてくるかもしれない。

 

 

そして「愛してる」って言葉をこれでもかとピックアップしてたこと。シンエヴァと重ねずにはいられないのですが、寧ろ重ねてしまっていいと思っています。ほぼ同時期に影響しあったと噂の両監督が、この時代にまたも同時期に同じテーマが入った映画を見せてくれたのは、きっとそういう時代なんでしょう(ウテナとTV版エヴァもほぼ同時期でしたね)。もちろん恋愛ドラマの枠にとどまる話じゃない。それはラストの子供時代のキャラが集まるシーンを見れば分かるはずで、親に愛されなかった子供達が何者かになれた象徴的なシーンだったと感じました。TV版ではそこまでフォーカスはされていなかった様な気がしますが、確証はあまりないですね。不甲斐ない。見返してみないといけないですね。「愛してる」なんて、言葉としてはありふれているので、実は抽象的な話だと思うんですけど、この言葉に生存戦略、存在証明のメッセージを詰め込んで届ける為の前後編3時間弱だったと思います。

見捨てられそうな誰かを救うのは「愛してる」って事なんだって、惜しげもなく観客に叫んでくる作品でした。

 

 

そろそろ無理矢理締めましょう。

 

実写パートを見ながら強く感じたのは、アニメという記号論の極みみたいなメディアと相性の良い抽象的なメッセージ(今回は広義的な愛とそれによる救済)を現実に引き寄せたんじゃないかって事です。庵野さんがエヴァ旧劇でやった時、現実を突きつけアニメと現実の乖離だけで終わってしまった手法は20年以上の時を経て、創作と現実を繋ぐ為の架け橋になった気がします。

作品内容とは違うかもしれないけど、今作の実写パートは実験的でありながらアニメをアニメたらしめ、次に進めると言うなんとも矛盾しつつも意義のある事だったんではないかなと強く感じてます。

アニメなんか見るな、じゃなくて、あのアニメのように、現実や他人と向き合ってくれればって事なんじゃないか。それが愛し合う第一歩になるんじゃないかな。

願わくば多くの人が(自分も含め)このフィクションをリアルに感じて、現実世界と向き合い、愛し愛され、生存戦略し続けていけたらいいな。