スパイダーマンノーウェイホーム!!
Twitter封印してるからこういう感想もブログに書かないといけない。
という訳で日曜日にスパイダーマン観てきました。
今回はネタバレなしで書く予定。
実はMCUを見るまでスパイダーマンを見てない変わった奴だった僕は、サムライミ版に思い出なく、なんだったら「500日のサマー」が好きでマークウェブ版のアメスピを先に観てる口でした。マークウェブ版評判悪いけど好きなんですよね僕。
なのでスパイダーマンはアイアンマン達並みに思い入れがない状態でMCUみ始めたので、個人的にはトムホランドスパイダーマンは他の同世代より結構好意的に受け入れていました。
ただ知識は調べるタイプなので、ホームカミング見た時には「あぁベンおじさんの件は他の映画でやってるし、今回は省いて進めるんだな。初登場シビルウォーだし」なんて知ったような感想を持ってたんですけど、ノーウェイホーム観た今、昔の自分を殴ってやりたいくらいに恥ずかしく浅はかな感想だったなと、今羞恥心に襲われています。
それほどに今作はトムホランド演じるピーターパーカーのヒーローとしての覚悟や独り立ちにフォーカスした映画だったなと強く感じます。
宣伝でドクターオクトパス初め過去作ヴィランや、ストレンジといったMCU要素を惜しげなく入れてたので、またいつものコラボ祭りにマルチバース(しかも制作会社跨いだメタ構造コラボ祭り)も足したファンムービーかしらと思っていたし、トムホ三部作はそういう立ち位置なんだろうと勝手に思ってたんですけど、観終わった今では三部作掛けてトムホスパイダーマンのオリジンになる作品へと昇華していったんじゃないかと、興奮が収まらない状態です。ホームカミング、ファーフロムホームの時、浅はかな表層の感想しか持たなかった自分が恥ずかしい。
とにかく前作までのトムホスパイディに懐疑的な方も是非これを観てから判断してほしい、と強く思える怪作になってると思います。
とにかくラストのスーツ姿は興奮したなぁ。
これ以上はどうしてもネタバレ含めて語りたくなるので初見感想はこれくらいにしておこうかなと思います。
デスストランディング感想発掘〜その1〜
メモを漁っていたらデスストの感想を見つけたのでとりあえずコピペしてみようかな
たしか発売して半年ぐらい寝かせてクリアしてからの感想だったはず。
以下感想〜
ゲームの感想をメインに書きたいと思います。ゲームをプレイして考え始めた事、考察系はまた別に纏めたいと思います。
まずコジマゲームに関して。
後は2とか5を少し触ってクリアしてなかったという感じだったかな。話が気になって各種サイトや動画を漁っていた時期があったくらいで、詳しくはないです。
理由としてはエイムが絶望的な事と、あまりコジマゲームのムービーが合わない事。
エイムに関してはMGS3をイージーでしかクリア出来てない事が物語っています。
ムービーに関しては、専門家ではないので「このカットのここが」とかは無いのですが、繋ぎなのかカメラワークなのか、テンポが合わない気がしてます。ムービーの途中でカメラ動かすのはゲームっぽくて好きなんですけどね。
そんなライトユーザーなのですが、デスストに関しては公開されていた情報では想像しきれなかった配達というゲームプレイと、SFの世界観、設定、そしてマッツミケルセン、
この辺りが決め手で購入しました。
そして即積む事になったのですが、これはゲームのせいと言うより個人の創作物を受け入れられない気分のせいもありました。
だから感想書く際には積んだ話は省こうかと思ったのですが、今回触れた方が良さそうだと思ったので敢えて書きました。
というのも、このゲーム独特の配達に関して語る際避けられない気がしたのです。
このゲーム、巷で配達ゲーと言われてるのを見かけましたが、否定は出来ないですよね。1にも2にも配達ですから。ゲーム内用語で配達依存症とか出てくるので、意識するのは当然です。
モンハンの卵運搬クエを連想した方も見かけました。
発売当初、現実で面白くない配達をゲームでやらされても面白くなるはずがない
とか言われてたことも。
配達だけならいざ知らず、移動が難しいんです。何も考えずに走るとすぐコケるんです。
これがかっこ悪いのは否定できません。慣れると愛らしく見えるんですが。
また日にちを開けると、当然の様に操作感を忘れているのですぐコケます。ここで転ぶのかと言うところで盛大にこけます。
長時間プレイしていて、気を抜くと雪山で転けて長い斜面を滑っていきます。折角登ったのにと途方に暮れます。ただ真っ直ぐ歩きたいだけなんですけど、思うように前に進めません。
個人的に他人に勧めにくいと前のブログで書きましたが、この移動すら大変という部分はゲームの目的と相まって相当に人を選ぶと思います。メタルギアの様なステルスエイムゲーではないからです。一応銃撃戦ありますし、アサルトライフルやショットガンなど使えますが、おまけ要素なきがします。ただ、僕はこの銃撃戦だけやたらC判定貰いますから、必ずしもメタルギア風ゲームなら良いわけではない訳です。今回のデススト風お使いゲームはコンシューマーでは類を見ない特殊なゲームだったのは間違いないです。
難易度
自分の様なライト寄りユーザーにとって高難易度は天敵です。途中で積む可能性大です。デスストは歩く事自体困難ですが、逆に言えば歩く事さえ難なく出来る様になればそれなりにサクサクプレイ出来ると思います。難易度としては決して高くない気がします。又、事前情報では全然想像できなかったネットを介して他人と繋がるシステム。これは狙って出せるものではないですが、痒いところに手が届くという感じでした。クリティカルな助けにならない事がほとんどですが、少し楽になったと思う事は多々ありました。ボス戦は詰み防止になってたりと上手いシステムだと思います。全くなしだと途中で投げたかも。
総じて配達ゲームという導入を乗り越えれば積むことはなさそうなのです。
配達というゲーム
これまで散々印象の悪い書き方をしましたが、配達ゲーなのになんの障害なく目的地にたどり着き、荷物を渡して帰ってくるだけのゲームだったら簡単すぎてクリアしても面白くなかったとなるでしょう。歩きにくさ、地形の不便さはゲームの難易度の調整となっており、これがあるからこそ慎重な立ち回りを要求されると思います。
配達ゲーと言うと気付きにくいですが、これは歩く、バイク、車を運転する、道具を駆使して目的地まで安全に移動するゲームだと思います。安定して歩く操作を要求されるし、何処を通れば安全かを考える必要があります。消耗品を計算したり、地形を読んだりして、ルート選択と実際に走破するスキル、BTやミュールから身を守る判断力が必要でした。こう書くとたちまちゲームっぽくなる様な気がします。(自分だけですかね)
自分が一度積んだのは配達ゲームとしてみたときの爽快感の無さからでした。ただ歩く事に着目した時、このゲームの面白さを見出し、エンディングまで辿り着くことが出来たと思います。
最後に
シナリオ等切り離してゲームとしてみたときの感想を纏めたのですが、言える事は
「配達ゲームではなく歩く事に焦点を置いたアクションゲーム」だと言うことです。
そしてこの歩く事に関してが、1番書きたかった事なので、別途まとめて書きたいと思います。それを書く前にシナリオや世界観を纏めておきたいと思います。マップやらビジュアルもゲームには重要ですし、最近流行のオープンワールドに関しても触れたいので。
次も長くなりそうですが、勢いで纏めたいな。
久しぶりなのに多分にネタバレがあります。
やっぱり更新サボりました。。。
そして久しぶりなのにネタバレ全開シャンチー感想という内容。
ネタバレ注意です。
以下シャンチー感想。
久しぶりにすんなり起きたので、朝一観賞。朝一、吹き替え、台風のコンボで人はかなり少なめ。
MCU初、中国人ヒーロー単独主演のMCU版カンフー映画、という触れ込み。
そんな映画なので、アクションは格好いい。見ていて気持ちいい映画。
ただしアクション以外は正直微妙。
まぁ元々MCU一作目ヒーローは基本面白くないと思うタチなのでそこまでダメージではないけども。
概ね次に期待。
若干Twitterでネタバレ喰らってしまったラストの怪獣バトルは元々原作にあったのか、無かったのかで考えが変わるが、単独映画としてみると、クソ映画認定される要素な気がする。カンフーアクションで締めないんかい!となりました。
ただああいうことできないとMCU世界では活躍できない。逆説的にアレがあれば今後のコラボで期待できるというもの。
それを裏付ける訳ではないが、いきなりドクター・ストレンジ、キャプテンマーベル、ブルースバナーとコラボ。
あそこ伏線ぶっ込みも込みで一番ワクワクしたし、あれを見に行ったまである。
大枠はこんな感じだとして、独立作品として見た時に、ほぼ初めて(のはず)の血の繋がった家族もの。
どこかで見たことがあるような気がするというのは、内容がベタなのならいいが、なんか家族の繋がりだけでなく、名前の繋がり、過去の罪も栄光も全て今に繋がっている、など出典不明なアジア(風?)要素がすごく気になる。
家族愛全面に押し出したハリウッド映画がすぐ挙げられないから、この作品が特殊なのか、使い古されたネタなのか確証を得ないのだが、今作見ていて、アジア系俳優なせいもあり、なんか日本のドラマ見てるみたいなストーリー。もちろん映像はハリウッド、MCUバリバリなんだけどね。そこがいいんだか悪いんだかと言った感じ。
またアクアマンほどでは無いが、「どうしよう?」ってなった瞬間全く別角度から何かが来て解決策や行動指針が出てくるので、テンポが良い代わりに、余韻がない映画。アイアンマン3のテロ首謀者役とか、シリーズファンは納得できるけど、知らん人はマジでご都合主義(シリーズファンでも?)な展開なので、気軽に勧めにくい作品であること請け合いである。
若干内容から逸れるが、中国語シーンが吹き替えではないためかなりの割合で吹き替えではなく、中国語+字幕のコンボ。声がガラッと変わるからこの映画は字幕あり派の人は字幕で見ることを強くお勧めします。細谷さんか真礼さんファンは吹き替えで。
あれ批判が多いか?
とりあえず一回見ただけの所感はこんな感じ。
今回の家族愛。あんまり刺さらなかったな。
そういえば…
ウテナの感想で語ってた愛について考えるようになったきっかけに関して、一回も書いてなかったなぁ、と気付いたので書かねば。というわけで、今回はきっかけとなったミュージカルの歌に関して。
「ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・1812」。このやたらめったら長いタイトルのミュージカルがそもそものきっかけであり、今の僕の物差しの一つになってたりします。内容は落ちこぼれ青年のピエールが、ナターシャと出会い、ナポレオンのロシア遠征に巻き込まれて…的な話。原作がロシア文学の「戦争と平和」の2巻の途中だけ再現という中々潔い作品だったりするのです。原作途中まで読んで止まってしまったので内容の考察はしません、すみません。
で、長くなるので本題の歌に関してコメントしていきたいなと思います。このナターシャピエール〜のナンバーで「Dast&Ashes」という曲があります。本場アメリカ版のジョシュグローバンが歌ってる公式YouTubeがあるので宜しかったら是非。
でこの曲、ミュージカルナンバーなのでセリフの役目も担ってて、主人公ピエールがナターシャへの愛を自覚して、そこから生まれ変わろうとする過程が鮮明に歌われるのです。これが個人的に本当に好きなんですけど、本当にこの歌詞に書いてある内容が今の自分のエンタメに望む愛の形であり、正義感になってたりします。
英語版歌詞は下記掲載
https://genius.com/Josh-groban-dust-and-ashes-lyrics
全文話すと長すぎるので要点だけピックアップします。基本的にいかに今までピエールが何もしてこなかったかを歌い、その状態を眠ったままだったと表現します。このままでは眠ったまま死ぬのだと。ただ、ナターシャと恋に落ち自分は目覚めたのだと言うのです。本の虫(だったはず)のピエールは、誰かの借り物の言葉では人生を好転させることはできず悩んでいたが、1人の女性に恋に落ちた時気づいたと言うわけです。この物語の流れ上ここでは恋だけでなく、アガペー的な愛にも気づいたように思います。実際小説後半では戦地で不特定の他者に施しをするようですし。
この歌から僕は人は愛に目覚めて初めて人と成る、という理念に気づかされたわけです。
これは結構なカルチャーショックだったんです。この視点でエンタメを見始めたら、面白い作品のキャラの行動理念の根幹に何らかしらの愛があるように思い始めました。
特にミュージカルは多いんですよ、レミゼとかまさにこのアガペーだったりすると思うんです。Dast&Ashesも最後の締めは神に目覚めさせてほしいと懇願するところで終わりますが、キリスト教的な考えなのかなと思ってます。つまりキリスト教勉強中。
そんなわけで長々と書き下してましたが、詰まるところ今の僕は、「エンタメで愛を行動理念とすると、キャラがイキイキとする、感情豊かになり観客が受け入れやすくなる」という仮定を立てました。この視点で今後見た作品を読み解きたいなと考えて、このブログを書いてます。文章書くのが苦手なので伝わるかどうか非常に疑問ですが、とにかく書いていきたいなという所信表明でした。
(締めかいつも雑だなぁ自分)
少女革命と愛
先日少女革命ウテナを見返した。1回目見たのが大学の時だったはずだから、5年以上は立ってるかな。見返した理由は詳細には書かないけど、自分のスキを確かめる為、みたいな理由から。
見た感想と思ったことを急ピッチで書き留めときます。(色々な理由から書き上げないといけなくなったので)
久しぶりに見てやっと、生徒会編、黒薔薇編と明確に描いた情報と伏線があり、それが最後のウテナと暁夫との対決まで繋がっていたことに気づけたかなと思ってます。
合間のギャグとか演出にばかり意識を取られてたけど、ウテナ言う王子、暁夫という寓話から外れた王子の成れの果て、アンシーという器だけの姫から脱却、御伽噺の王子と姫の構造を解体していく話だったのではないかと思う訳です。
生徒会メンバーが中心となり、友情、兄妹愛(家族愛?)、同性愛、異性愛、いろいろな側面の人間関係を見せてくれる。まるで御伽噺の王子に現実の不恰好な愛を見せつけるように。現実は御伽噺の中の夢物語の恋愛でハッピーエンドとはいかないのだよと。ウテナは純粋ゆえにその試練に勝っていくわけだけど、憧れていた王子本人が歪みすぎており、あっさりその毒牙にかかってしまうわけで。完全に倒錯した男性性の権化のようになってしまった暁夫は現代の権力者的側面が強いですよね。支配欲というか。ただこの「ウテナ」という作品が、王子の救済ではなく、新しい物語の構築だったとすれば、ディオスを復活ではなく、アンシーの旅立ちがタイトル回収、少女革命だったのかなと思うわけです。
狙ってやったのか偶然だったのか、2020年代の今現実にリンクするかのような結末ですが、個人的にはLGBTQ+という枠組みだけじゃない話なんだろうと思ってます。そう言う意味では狙ってないのだろうな。もちろんそういった要素は意図してただろうけど、樹里というキャラクターがいる以上、ウテナとアンシーの関係は現代的な同性愛とは別の、それこそ寓話的な関係、抽象的で普遍的な人間関係と絆、つまるところの愛の形だと、個人的願望に帰結するのです。特にウテナは最初から最後までトランスセクシャルでは絶対なく、ただ性の確立を明言してなかった女の子だったのかなと。話の流れで、女性性を確立し、自立していくのだけれど、舞台からの退場後は描かれなかったため、ちょっと急な自立に見えますが、それはアンシーの旅立ちで各自補完する形でしょうか。
ウテナがアンシーに向けた愛が、アガペー的な愛と仮定して結論づけるなら、昨今自分が考えてる、「アガペー的愛で人を救う事で、自らも救われ人と成る。その仮定にフィクションにおける感動があるのでは」という自分の考えのお手本のような作品だったわけです。この後幾原作品は愛の対象がウテナほど多様ではなく、テーマを絞った作品になってるように感じるが、愛をテーマにしてる事は変わりなく、僕の思う愛の形に、ブログタイトルに因んだ作品達なのです。幾原作品が好きな理由なんだろうなと思ってます。
ダラダラ書きましたが、ようは人の変化に愛があり、それこそエンタメに求める形だったりするのかなと思いながら、日々作品に触れているこの頃です。
初めてブログ書くと結びの言葉が見つからないのですが…(笑
とりあえずウテナの率直な感想はこの辺にしておきます。
次はピングドラムか、はたまた全く関係ないことか分かりませんが、細々と続けていきたいなと思います。
方針を少しだけ
突然ブログを始めて見たけれど、まず筆無精な自分がいつまで続くか甚だ疑問ではあるのだが。とりあえず、なぜ始めたかと何を書くのかを初めての投稿で書いておくことにしよう。
まず始めた理由について。
これは最近本読んだり、映画見たりした際に思う事は誰でもあるだろうけど、如実に考え事しながら読んだり見たりすることが増えてきていた。ある日、ふと、本を読んでる時に、思った事をノートに書き留めたら、スッキリしたことがあっあ。映画とか見て感想を書き留める事はしてこなかったけど、挑戦してみようかなぁ、と思いこのブログをはじめて見たのが、このブログを開設した理由かな。
次に何を書くか
自分の癖を考えると、日々思う事を短く載せる事は出来ないなと思う。必然的に1つの作品に対して長々と書くことになるだろうし。書く内容に関してはアニメや映画、舞台の感想や思った事を書くと思う。考察まではいかないだろうけど、いつもより細かいとこまで考えて書きたいなと思っています。
こんな感じかな。
最後にブログの名前に関して
大層なタイトルになっているけど、そこまで博識な事は書けないし、ユーモアのある文章にもならないと思う。ただ今の自分がエンタメに対して思うことにピッタリだと思ってつけたつもり。(数ヶ月後恥ずかしくなってるかもしれないが)
何故そう思うのか、説明できるかわからないけど、そんなタイトルにぴったりな作品に関して次回書いてみようかな。
という事で次回予告
初めての感想はちょうど昨晩見直した「少女革命ウテナ」(と幾原作品)に関して書いてみようと思います。