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感想書く日記的なブログのつもりです

ブレイキングバッド感想

数週間前、思い立って見始めたブレイキングバッド。正確には見直したですけど、やっとこさシーズン5まで感想したので感想を書きます。書けます。

とりあえずネタバレありで、エルカミーノは未視聴という状態の感想になります。

 

※以下ネタバレを含みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2年ほど前に見始めて、シーズン3の途中で止めてしまっていたのですが、今回頭から見直してみる事に。目標は完走。

 

そんな訳で、シーズン1やシーズン2は2回目の視聴になったわけですが、意外と覚えてるのに驚き。そんなに好きだったわけでも無いけど、すごく印象に残ってたんだなと認識。そしてシーズン2まではあっという間に視聴。完成度高いなぁと思いつつも既に感じ方に初見視聴時との違いもありました。

 

 

知り合いとか、ネットの一部でもスカイラーが苦手と言われてたりしましたが、自分も初見時はそうでした。でも見返すとそれは薄れていて、すんなり受け入れられるようになってました。

多分その心境の変化としてはウォルターやジェシーへの過度な感情移入がなくなっていた事にあると思うんです。初見時シーズン3で止まった要因として、ウォルターとジェシーの停滞と、スカイラーが悩みや過ちを犯した事、この辺りがどうも上手く噛み合わなかった気がしてたんです。当時はウォルターとジェシーの成功を期待して見てたのもあって、シーズン3の飛行機事故や薬物依存のセラピー、スカイラーの浮気なんかはウォルター達の足を引っ張ってるようにしか見てなかったんですよね。

 

ただ今回、見直す時、シーズン1の時からウォルターの歪さを認識して見ていたら全部が違って見えたというか。家族の為ってもう少し上手くやれるだろ…と思って見ていると、登場人物みんな何か欠けていて、それを補うか隠すように依存してるものがあって、ウォルターはそれが家族だったように思うけど、家族に救われているわけではなく、家族しかなかったんじゃ無いかなと思ったんです。

歪さはウォルターの二面性という形で表に出てきて、シーズン4あたりではジェシーと家族の前とそれ以外とで明らかに対応が違うし、家族やジェシーの事で取り乱す時の激しさと悪事を働く時の冷徹さが明確に差がでてきてますよね。理解不能な程顕著に差が出てる。

ただこの歪さはラストに収束していくわけで、これがこのドラマ最高のオチというか、視聴者がウォルターを見てきた答えを、ウォルター本人の告白と共に理解するんですよね。「家族の為じゃなく自分と為だった」とラストのウォルターの告白で全てが腑に落ちる。彼の激動の晩年は、ヒーロー映画ではお目にかかれない不条理に彩られ、しかし真にドラマチックだった。

本当に途中で見るの辞めていたのを悔いる程の完成度をシーズン5で見ることができたので、これは本当に見てよかったと、ここ数日ずっと思い続けてます。

 

個人的には、(詳しくないですが)最近耳にする“中年の危機、ミドルエイジクライシス”の側面があるのかなと思いました。教師でありながら、家族でも生徒でもなく、ドロップアウトした元教え子にしか生きる意味を共有できず、その子にすら自らのエゴの為に本当の信頼を得る事が出来なかったのは犯罪ドラマのサガかもしれませんが、この隙のないドラマにおいて、シーズン1の彼の立ち位置の段階で宿命づけられてた晩年かもしれない。

 

ラストはジェシーを救う事による救済によって彼の人生は一応の幕引きとなったわけですが、製造機器を眺めながらのラストは彼の孤独さが垣間見えて、開放感のない、ただ余韻だけは凄いドラマになっているんじゃないかな。

 

エルカミーノに続くわけですが、ジェシーの物語はどこに着地するか気になるところもあり、蛇足になりそうな不安もあるという、なんとも言えない気持ちが今ありますね。エルカミーノは腰を据えて見てみようと思います。

 

ウォルターの最後の希望であるジェシーに再起がある事を願って。